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今泉街道とは、奥州道中、山の目宿を起点として東に進み、相川、松川を通過して笹野田峠を越えて気仙郡に入り矢作村から今泉宿へと通じる海道です。 奥州街道は慶長年間(1596年~1613年)に整備されていることから、脇海道として少し遅れて整備されたと記録に残されています。 この道は海産物と内陸で産出された煙草、生糸、和紙、米などを気仙沼の港まで運ぶ重要な道でした。 当時三陸の海岸では海水を汲み上げ、塩釜で煮詰めて塩を取る直煮製塩が盛んに行われていたので、別名「塩街道」とも呼ばれていました。 また、気仙地方で産出された金を平泉に運んだという説もありますが定かではありません。 いずれにしても、当時の道が現存し、道標や塚が残っている貴重な街道です。 この街道を後世に伝えようと、相川地区・滝ノ沢地区の人たちが街道を整備し、年に数回今泉街道散策会を開いています。
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今泉街道とは、奥州道中、山の目宿を起点として東に進み、相川、松川を通過して笹野田峠を越えて気仙郡に入り矢作村から今泉宿へと通じる海道です。
奥州街道は慶長年間(1596年~1613年)に整備されていることから、脇海道として少し遅れて整備されたと記録に残されています。
この道は海産物と内陸で産出された煙草、生糸、和紙、米などを気仙沼の港まで運ぶ重要な道でした。
当時三陸の海岸では海水を汲み上げ、塩釜で煮詰めて塩を取る直煮製塩が盛んに行われていたので、別名「塩街道」とも呼ばれていました。
また、気仙地方で産出された金を平泉に運んだという説もありますが定かではありません。
いずれにしても、当時の道が現存し、道標や塚が残っている貴重な街道です。
この街道を後世に伝えようと、相川地区・滝ノ沢地区の人たちが街道を整備し、年に数回今泉街道散策会を開いています。