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一関市東山町特産の紫雲石硯は、田河津字夏山から採掘される美しい紫色の石を用い、藤原三代のころから生産されていた歴史があり、現在も生産されています。 この地域の山一帯は淡紫色の粘板岩からできており、周防赤間の石材に優る量と質を誇るといわれます。 「安永風土記」によれば、享保8年(1723年)、ときの仙台藩主がこの石に目を留め、他藩に誇れる石として、勝手に採掘することを禁じられた「お留め山」になりました。 研石の大家、元子爵の山口弘道先生(鎌倉居住雅号薫石)は、鑑石で「正法寺石即ち紫雲硯は鎌倉時代から発掘されたものと思われて鎌倉で時々その破片を発見しました。墨をすりながら鑑定してみましたところ日本産では大変優秀なものと思われました・・・」と述べられています。
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一関市東山町特産の紫雲石硯は、田河津字夏山から採掘される美しい紫色の石を用い、藤原三代のころから生産されていた歴史があり、現在も生産されています。
この地域の山一帯は淡紫色の粘板岩からできており、周防赤間の石材に優る量と質を誇るといわれます。
「安永風土記」によれば、享保8年(1723年)、ときの仙台藩主がこの石に目を留め、他藩に誇れる石として、勝手に採掘することを禁じられた「お留め山」になりました。
研石の大家、元子爵の山口弘道先生(鎌倉居住雅号薫石)は、鑑石で「正法寺石即ち紫雲硯は鎌倉時代から発掘されたものと思われて鎌倉で時々その破片を発見しました。墨をすりながら鑑定してみましたところ日本産では大変優秀なものと思われました・・・」と述べられています。