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平泉藤原氏の時代に因んだ仏像 髻を結い、天衣をつけ、両手を腕前で拱手し、両袂が垂れ下がった様に裳を折り返してつけ、蓮華座の上にほぼ直立する一本造の菩薩像とされています。全体的に傷みが激しく、両肘の欠損により細部がうかがえないものの、蓮華の花を持った聖観音像であったとも推察され、全体の様式などから平安時代後期の藤原様式の作と考えられます。 伝承によれば、雨乞いの際にこの像に水をかけて祈願したともいわれる当文化財は、顔面及び肘より前部は近世以降に補修したもので、遺存状態は決してよくないものの、平泉文化に関連する仏像として、貴重な資料です。 昭和61年3月28日市指定
平泉藤原氏の時代に因んだ仏像
髻を結い、天衣をつけ、両手を腕前で拱手し、両袂が垂れ下がった様に裳を折り返してつけ、蓮華座の上にほぼ直立する一本造の菩薩像とされています。全体的に傷みが激しく、両肘の欠損により細部がうかがえないものの、蓮華の花を持った聖観音像であったとも推察され、全体の様式などから平安時代後期の藤原様式の作と考えられます。
伝承によれば、雨乞いの際にこの像に水をかけて祈願したともいわれる当文化財は、顔面及び肘より前部は近世以降に補修したもので、遺存状態は決してよくないものの、平泉文化に関連する仏像として、貴重な資料です。
昭和61年3月28日市指定