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平泉藤原氏の時代に因んだ仏像 本像は像高160.1cm、法衣をまとい、右肘を屈して掌を前にし、左手に薬壺をとり、両足を揃えて直立する薬師如来像です。構造は一木造・彫眼で、主体部は頭部から足元まで通した全面材に、別材の背面材を寄せ、それぞれ内刳りを施し、両側に肩を含む体側材を寄せており、袖先と薬壺を含む左手、両足先、裳裾左端は後補であることが分かります。 本像の彫刻上の特色は、如来に本来備わるべき螺(ら)髪(ほつ)(巻貝状の頭髪)の表現がなく、衣のひだもほとんど掘られておらず、神像彫刻によく見られる語法が用いられています。また、法衣には赤く着色された痕跡が残り、裾には所々に色が抜けたように藤原時代の丸文様が残されています。赤外線で見ると蓮華のような花が描かれているほか、衣の下端や袖の内側部分には唐草模様も見られ、当初髪は墨色、身体は肌色、衣はベンガラ塗りに花文を描いた華麗な容姿であったと推察されます。 寺の前身は平安時代開創の天台宗真福寺と伝えられていますが、本像は神としての要素を色濃く残した平安後期の作であり、この地方の「カミ」として篤く崇敬された尊像と考えられます。 昭和29年4月5日県指定
平泉藤原氏の時代に因んだ仏像
本像は像高160.1cm、法衣をまとい、右肘を屈して掌を前にし、左手に薬壺をとり、両足を揃えて直立する薬師如来像です。構造は一木造・彫眼で、主体部は頭部から足元まで通した全面材に、別材の背面材を寄せ、それぞれ内刳りを施し、両側に肩を含む体側材を寄せており、袖先と薬壺を含む左手、両足先、裳裾左端は後補であることが分かります。
本像の彫刻上の特色は、如来に本来備わるべき螺(ら)髪(ほつ)(巻貝状の頭髪)の表現がなく、衣のひだもほとんど掘られておらず、神像彫刻によく見られる語法が用いられています。また、法衣には赤く着色された痕跡が残り、裾には所々に色が抜けたように藤原時代の丸文様が残されています。赤外線で見ると蓮華のような花が描かれているほか、衣の下端や袖の内側部分には唐草模様も見られ、当初髪は墨色、身体は肌色、衣はベンガラ塗りに花文を描いた華麗な容姿であったと推察されます。
寺の前身は平安時代開創の天台宗真福寺と伝えられていますが、本像は神としての要素を色濃く残した平安後期の作であり、この地方の「カミ」として篤く崇敬された尊像と考えられます。 昭和29年4月5日県指定