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気仙郡高田村(現陸前高田市)出身の相原友直(1703~1782)は、仙台藩医を務めながら、多数の郷土史関係の著作を残した人物です。 享保5年に相原の儒学の師である佐久間洞巌が著した「奥羽観跡聞老志」に平泉の旧跡が掲載されており、世に平泉の旧跡が紹介された気運に乗り、相原も平泉の調査・研究を行っています。 相原の著作である「平泉実記」「平泉旧蹟志」「平泉雑記」の三作は、平泉歴史研究の礎石を築いたといわれており、明治時代には三作をまとめた『平泉志』も発行されています。 晩年は、長男の住む赤荻笹谷(現一関市赤荻字笹谷)に居を移しに、ここで生涯を終えました。 (参考文献:「一関市史 第2巻 各説Ⅰ」326頁、「一関市史 第4巻地域史」330頁、「一関文化ガイドブック 一関の文化と自然」89頁)
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気仙郡高田村(現陸前高田市)出身の相原友直(1703~1782)は、仙台藩医を務めながら、多数の郷土史関係の著作を残した人物です。
享保5年に相原の儒学の師である佐久間洞巌が著した「奥羽観跡聞老志」に平泉の旧跡が掲載されており、世に平泉の旧跡が紹介された気運に乗り、相原も平泉の調査・研究を行っています。 相原の著作である「平泉実記」「平泉旧蹟志」「平泉雑記」の三作は、平泉歴史研究の礎石を築いたといわれており、明治時代には三作をまとめた『平泉志』も発行されています。
晩年は、長男の住む赤荻笹谷(現一関市赤荻字笹谷)に居を移しに、ここで生涯を終えました。
(参考文献:「一関市史 第2巻 各説Ⅰ」326頁、「一関市史 第4巻地域史」330頁、「一関文化ガイドブック 一関の文化と自然」89頁)